第四者視点

駆け出しキネシオロジストのメモ帳

我慢は毒

 今回は色々考えが迷走してスピ系の話にも突っ込みそうになりますが…w
 ここ数日クソどうしようもないことを延々と考えてる気がするのでその発散がてらにでもと。

 我慢って良くないですよねという話。単純。でもこれって気付いた頃にはほぼ人格(主に自制心とか)が出来上がっていて、なかなか身の周りで衝撃的な変化が起こって気が変わったりしない限り、外から少々突っついてもどうしようもなかったりするんですよね。まさかこれ読んで誰かが良い方に変わってくれればなんて夢でも見てるわけですが、どうにもこれを書いてる自分はもう「我慢をすることに何ら抵抗の無い状態」なんですよね… 知的生物らしい姿とは逆に思えません。
 話をやや逸らしてしまいました。本来人間は知的生物でかどうかという観点で見るものではないと思っています。わざわざ生物を細分化する必要は無いんです。故に我慢は不要。何言ってんだって所ですが、要するに本能が備わっていれば良いんです。ただ今の人間は、尽く本能を抑え込まれ理性によって動かされている状況と言えます。これをどうにかしないとという話。
 この今の社会システムが整ってしまっている以上は、全て本能(欲望)に任せて動くということは不可能ですが、それでも本能をベースに動いている人はどういう生き方であれ上手だと思いますね。理性で動くとどうしても小ぢんまりとしてしまいます。当に今の自分。何をしようにも大体面倒臭いといった感情が過った瞬間、我慢してどこかへ埋没してしまいます(自分は凡そ高校時代が原因です)。
 世間的に見て成功していると言える人は大体この本能との付き合い方が上手いと思います。回りくどい書き方をしたのは、小汚ない手を使ってでも上に立ててる人は居るわけで、その人達は結局皆理性をある程度捨ててるところがあると思います。全く小汚ない手を使っても良いなんて言ってるわけではないですが、やはり目に映る成功する物は「理性を抑える」ということが上手いといった感じですかね。

 因みにこれらは全てほぼ自分の境遇をひっくり返して想像したものに過ぎません() ここまで読んで損したなんて思って欲しくないので次に全く次元の違う話を。先程の生物はただ生物であるという観点を更に別次元で見ると… 地球上以外に生物が居るとした場合の話。というかこの3次元以外に生物が居るとしたらという話。3次元より大きい多次元ってのは確実に存在すると言われているわけで、とするとこの次元を下げたココは例えばただディスプレイに映るフィクションと同じような物では… という。
 フィクションであるかどうかというより元々行き先の決まった未来がどうあろうと存在しているという運命論的な話もあります。これに関しては時間軸が複数存在する多次元と整合性が取りにくい話なので何とも自分の中には落とし込み切れていないところがありますが、自分がどう理性や本能と付き合おうが同じといった、ぶっちゃけ半ばヤケクソでもいいといった感じで本能のままに動いてみてはどうでしょうか、自分。


 いや結局何言ってんだって感じですね。読み手以前に書き手の自分が何故こんな話に膨らんだんだって1番後悔してます() まぁ自分では気付けないことも多いですし適当に見聞が広まる切っ掛けにでもなれればと… という自分は特に何かが変わる兆候があるわけでもないって話ですが。取り敢えず意味分からん文章を読み切って下さった方は、色んな良い意味を込めて結構な変わり者だと思います。ありがとうございます。
 今もそれなりにコンテンツこそ消化していますが、全然記事にする気になりません。そんなことよりもっと大事なことがある。というか本当はあまり言いたくないし自覚したくもないけど、それこそあの手のコンテンツこそただのまやかしで云々かんぬん。ほんと何してんだ自分。我慢が上手過ぎて下手になるとこうなります。ではでは